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旧市庁舎
ミュンヘン(ドイツ) |
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ブレッド湖
(スロベニア)
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ポストイナ鍾乳洞(絵葉書)
(スロベニア)
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聖ヤコブ大聖堂
世界遺産
シベニク(クロアチア) |
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聖ロブロ大聖堂
世界遺産(旧市街地)
トロギール(クロアチア)
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ディオクレディアヌス宮殿(絵葉書)
世界遺産
スプリット(クロアチア)
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旧市街地の石橋地域
世界遺産
モスタル
(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
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旧市街地(絵葉書)
世界遺産
ドブロヴニク(クロアチア)
ビデオ
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プリトヴィッツェ湖群
世界遺産
プリトヴィッツェ (クロアチア)
ビデオ
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聖母被昇天大聖堂
ザグレブ(クロアチア)
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竜の橋
リュブリャーナ(スロベニア)
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ザルツブルグ旧市街地(絵葉書)
世界遺産
ザルツブルグ(オーストリア)
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旧ユーゴスラビアの歴史を振り返ってみよう。 |
多民族国家の旧ユーゴスラビアは第二次世界大戦ではドイツ、イタリアに支配されていたが、戦後にチトーによって独立を達成する。この国
は「七つの国境、六つの共和国, 五つの民族,四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」といわれるほどの多様性を内包していた。
旧ユーゴスラビアはもともと6共和国(セルビア、モンテネグロ、クロアチア、スロベニア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)と2自治州から
構成され、30もの民族に分かれ、宗教もカトリック、ギリシャ正教(セルビア正教)、イスラム教などが複雑に入り組んでいる。
1990年近くになるとソ連ゴルバチョフ指導による民主化が進み、東欧民主化で東側世界に民主化が広がる。ユーゴを構成する各国ではチ
トー時代の体制からの脱却を開始する。また、各国ではミロシェヴィッチ(セルビア)、トゥジマン(クロアチア)に代表されるような民主主義者が
政権を握り始めていた。ユーゴの中心・セルビア共和国ではミロシェヴィッチが大統領となり、アルバニア系住民の多いコソボ社会主義自治州
の併合を強行しようとすると、コソボは反発して1990年7月に独立宣言し、これをきっかけにユーゴスラビア国内は内戦状態となった。
1991年6月に文化的・宗教的に西側に近いスロベニアが10日間の地上戦で独立を達成し(10日間戦争)、次いでマケドニア共和国が独立、
歴史的にもセルビアと最も対立していたクロアチアが激しい戦争を経て独立した。(クロアチア紛争) ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独
立したが、国内のセルビア人がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返した。(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争) セルビア国内でもコソボ自
治州が独立を目指したが、セルビアの軍事侵攻によって戦争となった。(コソボ紛争) 紛争はNATOや国際連合の介入により収束した。
コソボは2008年に独立を宣言した。コソボを承認している国は少数にとどまっており、セルビアをはじめとするコソボの独立を承認していない
国々からは依然コソボはセルビアの自治州とみなされている。(ユーゴスラビア紛争 Wikipediaより要約)
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スロベニア |
・1991年に旧ユーゴスラビアから独立し、首都をリュブリャナとした。日本の四国とほぼ同じ位の小さな国土だが、勤勉な国民性から先進工業
地帯として発展し経済的に豊かなくにとしても知られるようになった。2004年のEU加入後の現在も経済発展を続けている。2008年には旧社
会主義諸国で初めて欧州連合の議長国となった。政治的な面でも、スロベニアは民主的な政体を安定して維持しており、その地理的・経済的
特徴が良い影響を与えているとみられる。治安は非常に良い。
・主な産業は自動車等輸送機械、電気機器、医薬品、金属加工、観光、絹織物の生産などである。
特産品のひとつとしていちじくがある。いちじくジャムや乾燥いちじくがある。
ブドウの栽培とワインの醸造は古い歴史を持ち、ポドラヴェやポサヴェ、プリモスカなどで年間8000万から9000万リットルのワインが製造されて
いる。
・公用語はスロベニア語である。スーパーでの買い物は英語も通じる。
・スロベニアの学校制度は、初等教育に進んだ以降の外国語教育を推進している。子供たちは、小学校時代に2つの外国語(最も一般的に英語
とドイツ語)を学んでいる。標準的な小学校では、たいていスペイン語、イタリア語、またはフランス語を第三言語の選択肢として教えている。
・通貨単位はユーロ(€)、補助通貨単位はセント(¢)。
・スロベニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が1件(シュコツィアン洞窟)ある。
・日本は、1992年3月にスロベニアを国家承認し、同年10月に外交関係を開設した。 |
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クロアチア |
・1991年に旧ユーゴスラビアから独立し、首都をザグレブとした。日本の九州の約1.5倍の大きさの国土である。
・主な産業は輸送機械(船舶)、石油、石油製品、観光、絹織物の生産などである。
ネクタイはクロアチアが発祥の地である。シルクはクロアチアの名産。ネクタイ以外にも女性のスカーフなども人気である。
また、地中海性の温暖な気候のもと、クロアチアでは葡萄の栽培がさかんである。イストゥラ、スラヴォニヤ、中央クロアチア、ダルマチアなど
に数多くのワイナリーがあり、それぞれ地域ごとに特徴あるおいしいワインが作られている。
クロアチアのレース製品はUNESCO無形文化遺産に登録された特産品である
・公用語は、クロアチア語がであり、英語も通じる。
・通貨はクーナ(HRK)である。ユーロは使えない。
クーナは現地でユーロと交換する。交換する場所は添乗員さんが案内してくれた。ホテルでも可能である。
クロアチアは2013年7月に28番目のEU加盟国となる見通しとなった。クロアチアのEU加盟が成れば旧ユーゴスラビア構成国家での中では
スロベニアに続く2例目となる。
・クロアチア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件ある。
・日本は1992年3月にクロアチアを国家承認し1993年3月に外交関係を開設した。
・2国間関係は順調に発展。近年はクロアチアを訪れる日本人観光客が急増しており、2003年には約1万6千人であった旅行者数が、2009
年には16万人を突破した。 |
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雑感 |
・ホテル事情
・ホテルは基本的にシャワーのみというところが多い。我々が宿泊したホテルではスロベニアではシャワーのみであり、クロアチアでは5泊した
うち3泊がシャワーのみであり、2泊がバスタブ付であった。
・クロアチアのドブロヴニクに宿泊したホテルでは全員がパスポートをフロントに預けることになった。同じツアーの人達も不安に思っていた。
フロントの棚に置いただけで、フロントの人が短時間いなくなれば外部の人が容易に持ち去ることができるの状態なのである。金庫に入れる
などして厳重な保管をして旅行者を安心させるなどの配慮がほしかった。
・紛争の爪あと
・モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)では壁に銃痕のある民家や砲弾で外壁しか残っていないビルがあちこちにあった。
・ドブロヴニク(クロアチア)の旧市街地(城壁で囲まれた地域)ではセルビアとの紛争で約2000発の砲弾を打ち込まれたという。新しい屋根
つくりの家が被害を受けた家であり、被害を受けなかった家は屋根にコケが生えていたり、経年劣化で色が少しあせていたのですぐに判断
できる。また、石積みの壁のみを残した無残な姿になって放置された家もあった。
・コンビニでの買い物
クロアチアではKONZUM(コンツーム)というコンビニがあちこちにある。ここでは1個、2個の買い物ではビニール袋または紙袋をくれない。
Plastic please.と言えばビニール袋をくれる。紙袋の場合はPaper please.と言えばよい。領収書は必ずくれる。
ここではミネラルウオーター、チョコレート、蜂蜜、、いちじくジャム、チーズなどちょっとしたお土産を買うところだ。
・飛び込みショー
・ボスニア・ヘルツェゴビのモスタルの石橋から飛び込みショーがある。これは観光客から200ユーロ集まると高さ約21mの橋の上からダイビ
ングするのだ。我々も橋の下でカメラを構えて、今か今かと待っていたがお金が集まらないのか飛び込みショーはやらなかった。我々が橋を
渡る頃になってショーが始まった。残念ながら橋の上からではカメラに納まらなかった。 |